約束
「それでいいの、ねえさま」
「ええ、いいの」
そう言ったねえさまの顔は毅然としていたけれど、ひどく辛そうだった。
ねえさまは阿高のことが好きなんだ。けれど、自分が内親王である以上、それを告げるわけにもいかず、一人で、誰にも話さずに諦めようとしている。
一人で自分の気持ちを殺してじっと耐えるだなんて、たとえそれが内親王としての正しい選択なのだとしても、そんなのは全然ねえさまらしくないと思う。
ぼくはねえさまにはいつも笑っていて欲しい。
はかない笑顔でなく、生気のいっぱいに詰まったねえさまの笑顔が、ぼくは大好きなんだ。
だから、伊勢に行った時、それがねえさまの決意を裏切る物だと知っていたけれど、ぼくは阿高と藤太に話してしまった。
「よう、鈴の弟じゃないか!」
「鈴・・・は来てないのか?」
明るい笑顔で走りよってくる二人の坂東の若者に、ぼくはこっくりとうなずいた。
「ねえさまは、来ません。阿高たちが武蔵に帰ってしまったら、ねえさまは二度とあなたたちに会えなくなってしまうから、会うのが辛いのだと思います。」
「そうか・・・。」
阿高は残念そうな顔をしたけれど、すぐに気を取り直してぼくの肩を叩いた。
「まあ、せっかく来たんだから、ゆっくりして行けよ。藤太もすっかり良くなったことだし。」
「仮にも親王に来てもらって、立ち話というのもなんだよな。」
藤太もいたずらっぽく笑うと建物のほうを指差した。
この人達の態度を見ていると、あまりねえさまのことを深く考えてはいないのではないかと不安になってしまう。
建物に入るなり、ぼくは勢い込んで言った。
「阿高、ねえさまはすっかり意気消沈なさって、ふさぎ込んでいらっしゃいます。無理もありません、あれだけ奔放だった方が、自分の気持ちを押し殺してらっしゃるんですもの。ねえさまは阿高のことが好きなのだと思います。本当は阿高といっしょに行きたいのです。でも、それを言い出すと阿高たちに迷惑がかかるから、それが辛くて今日も伊勢にこなかったのだと思います。」
「お、おい、賀美野・・・」
阿高は戸惑って、ぼくを落ち着けようとしたようだけれど、ぼくは構わずに一気に続けた。
「ねえさまはこのままもう、阿高に会わないつもりです。それでも良いのですか??阿高はねえさまのことを、どう思っているのです?」
興奮して息を切らせながらも、ぼくは切実な思いを込めて阿高を見つめた。
すると、意に反して阿高が笑い出した。藤太もいっしょになって笑い出す。
「あ・・・阿高?」
少しの間、呆然としていたぼくだけれど、次第に腹が立ってきてしまう。
「わ、笑うようなことですか?ぼくは真面目に、、、」
「いや、悪い、違う」
笑いをかみ殺しながら阿高が手を振った。
「藤太にも同じことを言われたんだ」
「え?」
びっくりして藤太の方を見る。藤太は阿高よりも少し大人びた顔で笑っている風だった。
「おまえさんが心配するのももっともだよな。全く阿高ときたらうかつなんだ。なんの約束もしないで別れてきたと聞いておれもびっくりしたよ。」
「だって考えてもみなかったんだよ、鈴に会えなくなるなんて。あいつは当然のようにおれのそばにいたから・・・」
「だからお前はうかつだというんだ」
しかつめらしく藤太が言う。ぼくは我慢できなくなって、阿高に詰め寄った。
「それで?阿高は藤太にはなんと答えたのです?」
「鈴にもう会えなくなるなんて嫌だよ。あいつを竹芝につれて帰りたい、と言った。」
阿高は迷いのない様子であっさりと言った。
「ほ・・・本当ですか?」
拍子抜けしたような驚きに続いて、安堵が胸に押し寄せてくる。
「おれ達の坂東ではね、」
藤太が口を開いた。
「正攻法で行っても頑固に許さない親のいる娘は盗み出しても良いことになっているんだ。男に娘を盗み出すだけの度胸と知恵と協力があったなら、ね。」
「それでおれたち、ここ数日作戦を立てているんだよ。御所に入ったことならあるけれど、鈴がどこにいるかまではわからないし。まあ、いざとなったら力づくで進むしかないと思っているけどね。」
阿高はどこか好戦的な笑みを浮かべて言う。
この人達は、きちんとねえさまのことを考えてくれている。ぼくは嬉しくなった。
「藤太、男に守備良く娘を盗み出す知恵と協力が必要だって言いましたよね?」
「ああ、言ったよ。」
「そう言うことなら、ぼく、協力できます!」
そして今。
ぼくは御所の裏門に面した庭園に身を潜めている。
阿高はうまくねえさまに会えただろうか。ぼくはねえささの侍女が、ねえさまの部屋に近寄らないようにするだけで良かっただろうか。
けれどきっと、大丈夫だと思う。ねえさまと阿高には、不思議な絆を感じるから。
がさリ、と庭木が動き、慌てて身を隠すと、現れたのは阿高とねえさまだった。
「ねえさま!」
ぼくは小さく叫んで走り出す。ねえさまはそんなぼくをしっかりと抱きとめてくれた。
「ねえさま、良かった。無事阿高に会えたのですね!」
「賀美野、なんて事をしてくれたの、あなたという子は。もうねえさまとは会えなくなってしまうのよ」
ぼくを抱きしめる腕に力をこめながらねえさまが言う。その声はどこか弾んでいた。
「ぼく、我慢します。ねえさまには幸せになって欲しいから。ねえさまが心から笑っていてくれるなら、ぼくは寂しくなんかありません。」
「賀美野・・・」
「鈴、人がくる」阿高が言って、ねえさまは慌ててぼくを離す。
「ええ。賀美野、元気でね。あなたとお兄様のことはいつも心にとめておくわ」
「賀美野、ありがとうな!」
ねえさまの手を取って裏門に向かう阿高に、ぼくは思わず声をかけた。
「阿高!ねえさまを・・・よろしくお願いします!」
阿高は振り返った。----------線の細い顔に不思議と似合う太い笑みを浮かべて。
「ああ。」
「賀美野、ありがとう!」
今度こそ二人は裏門を出た。これがきっと、ぼくがねえさまを見る最後になるのだと思う。外には藤太と広梨が馬をつれて控えているはずだ。
ぼくよりも先に上手に馬に乗ってしまったねえさまだもの、きっと大丈夫。
裏庭に立ち尽くしていると、その姿をねえさまの侍女に見咎められた。
「まあ、賀美野さま、そのような所に、、、。」
「ごめんなさい、月があんまりきれいだったものだから」
「本当にきれいな月ですこと。けれども、そのような所にいたらお風邪を召しますよ。どうかこちらに入ってくださいまし。」
「はあい」
大丈夫。ねえさまは幸せになる。阿高がいるのだから。
だから、ぼくも頑張れる。
「賀美野さま、苑上さまはずいぶんお早くお休みになられたようですが、お加減でも悪いのでしょうか?」
「うん、そうみたいだよ。お体の調子がすぐれないから、早くお休みになるって。」
「まあ、それでは薬湯をお持ちしたほうが良いのでは、、、」
「明日にしてあげて。今日はとても疲れていたようだから。」
どうかそれまでに、少しでも遠く、、、。
ぼくは、月に祈りを捧げた。
あとがき…?
これも実は使いまわ…(自粛) ごめんなさい、まだまだあります;展示させて下さい(土下座)
これは初めて書いた薄紅ものです。賀美野視点。
主要人物から少し脇寄りの人物の目線になって物語を読むことが好きだったりします。
本当のところは、姉さま行っちゃ嫌だ〜!な気持ちもあったのだろうなあとは思うのですが、それよりも強く苑上を想う大人な賀美野を夢見てみたりして(笑)
いや、実際彼は大人ですよね。 本当、荻原作品人物はみんなみんな魅力的で大好きですvv!!(主張)