不安





(わたくしは望んで、望まれて武蔵に行くのだ。これ以上幸福なことはないわ)
パチパチとはぜる焚き火を見つめながら、苑上は仲成にも言った言葉を何度となく頭の中で唱えた。 不安だったのだ。
 
もう苑上たち一行は坂東の地までたどり着いていた。明日には竹芝に着くだろう。
阿高はいつもの寝つきの良さで、固い地面の上で昏々と眠っている。
苑上が女の子とわかってからは、阿高や藤太たちは気を使って寝床に草なりを敷いてくれたが、それでも野宿することには変わりはなかった。
野宿することには不満はない。固い寝床にももうなれた。………でも。

阿高の態度にまるで変わりがないのだ。
御所まで迎えに来てくれたくらいだから、阿高が苑上に、鈴に好意を寄せてくれていることは間違いないと思う。
けれども、どうにも女の子扱いされている気がしない。
阿高が迎えに来たのは鈴鹿丸だったのではないか、と疑いたくなるほどに。

(それども構わないと思っていた。人に求めるのはやめようって思ったばかりなのに・・・)

寝返りを打つと、火の番をしている藤太の背中が見えた。



「眠れないのか」

その背中が話しかけてきて、苑上は驚いて身を起こした。

「ええ、考え事をしていたから・・・」
「鈴はよく頑張ってくれたよ。明日には竹芝に着くからゆっくり休むといいよ」

そう言って藤太は微笑む。
その朗らかな笑顔を見てしまうと、苑上は胸にたまった思いを全て吐き出したくなった。

「ありがとう、藤太・・・。ねえ、こんな事を聞くのは変だと思うのだけれど、藤太は阿高が私のことどう思ってるか、わかる?」
「え?」
「こんな事、本当は考えたくない。阿高が私のことをどう思っていようと、いっしょに行こうと望んでくれたことは確かなのだし、わたくしも自分の意志で竹芝に行くのだから構わないと思っていたの。、、、でも。」

炎を見つめながら、苑上が考えを整理するように少し黙ると、藤太は先を促すこともせず、静かに続きを待った。

「・・・例えば、阿高がわたくしが思うほどには私のことを望んでいないとしたら・・・。わたくしはあなたたちの郷に大きな災難を運んでしまうことに値するのかしら?それほどの危険をおかしてまで、わたくしはここにいても良いのかしら・・・」

こんな考え方は卑屈だと思う。けれど、苑上の血筋のせいで竹芝に災難をもたらしてしまうことは事実だ。現に、昨日は仲成がついに追っての兵を率いて苑上たちの前に姿を現したのだった。

(わたくしはそれでも阿高と一緒にいたいと思ってしまった。けれどわたくしがそれに値する人間でなかったら。わたくしは・・・ただのお荷物でしかないわ・・・)

「阿高はね、鈴」苑上の話が終わったことを確かめるように藤太がゆっくりと口を開いた。
「まだ恋というものをしたことがないんだ。これはもう、間違いない。だからね、女の子に対したときに、どう接すれば良いのか、わからないんだよ」
「それは阿高がわたくしの事を女の子扱いしてくれているということ?」
「もちろんだよ。でもやつは、自分に関する事にはまるで鈍いから、多分、まだ鈴に恋している自覚がないんだと思うよ。」

藤太は仕方がないなあ、という風に笑って、寝ている阿高の横顔を見る。
つられて苑上も、阿高の顔に視線を移した。薄い色の髪に焚き火の光が映って、夕焼けのように美しい。長いまつげの閉じられた寝顔は安らかで、安心しきっているように見えた。

「恋・・・しているのかしら。阿高は」
「鈴はもっと自信を持っていいよ。なんて言ったって、おれでも連れ戻せなかった阿高を連れ戻したのは鈴なんだし。どんな危険をおかしたって、阿高は鈴と一緒にいたいと思っているんだ。好きだ、とか言う気持ちには後から気づくやつだよ、こいつは。本当に鈍いんだ。鈴には苦労かけるけど」
「うん・・・知ってる・・・」

藤太の話を聞いていたら、自分の悩みは本当に卑屈なものだと思えてくる。
久しぶりにすっきりした気分で、苑上は笑った。

「ありがとう。藤太は優しいね。女の子に人気があるでしょう」
「人気あるよ、藤太は。でも竹芝じゃ、阿高と二人で人気を二分していたけどね。」

眠っていたとばかり思っていた広梨が突然しゃべったので、苑上は仰天した。しかも何やら聞き捨てならない。

「阿高が?阿高は人気があるの?」
「人気があるなんてもんじゃないよ」

おどけた調子で広梨は大仰に肩をすくめた。

「二連が行くところには騒ぎが絶えないけれど、女の子も絶えないんだ」
「広梨!」

苑上が顔色をなくすのを見て、藤太が慌てて止めに入った。

「藤太、本当?阿高はそんなに人気があるの?」

思わずすがりつくような目で見てしまう。考えてみた事もなかった。
阿高は確かに綺麗な外見をしているきれど、お世辞にも愛想がいいとは言えない。どちらかというと、女の子を寄せ付けないように見えたのだ。

「本当だよ。おれたちが鈴は特別だというのはそこだよ。阿高を好きな女の子はたくさんいたけれど、だれひとり阿高を振り向かせることはできなかったんだ」

藤太が言うと、広梨も続く。

「おれは阿高は女嫌いなのかと疑ったくらいだ。寄ってくる女の子達に向かって、迷惑そうな顔しかしなかったもんな。阿高の鈴への態度は、おれたちから見たら、本当、仰天ものなんだけどなあ」
「おれは前に阿高に何故恋をしないのか、と聞いた事がある。」

昔を懐かしむように阿高を見やっていた藤太は、向き直ってまっすぐに苑上を見つめた。

「今ならわかるよ。・・・鈴に出会ってなかったから、なんだな」


藤太の言葉を受けて、苑上は頬が熱くなるのを感じた。
取り乱した自分が恥ずかしかった。卑屈な悩みを持った自分が恥ずかしかった。
そして、何より、嬉しかった。
しっかり形に出してもらわないと信じられないなんて、自分は愚かだ。


阿高は感情以前の気持ちで自分を求めに来てくれた。


阿高の友人達は、こんなにも温かい目で自分たちを見てくれている。
この優しい人達に、これ以上自分の不安をぶつける事はできない。

(大切なのは、わたくしがそれに値する人間かどうかという事ではないわ)

大切なのは、困難のときに自分がどれだけの事をできるかという事。

(もう、卑屈な悩みを持つのはやめよう)

「ありがとう、広梨、藤太」

何かが吹っ切れたようなすがすがしい苑上の顔を見て、藤太と広梨は微笑んだ。

「さあ、明日は竹芝だ。もう寝ようぜ」




彼らの安住の地はもう、目の前だった。












あとがき…?

薄紅、二作目です。
阿高と苑上が一緒に居るところを書くのが当時は苦手だったようです。(今も得意ではないですよ?)
二人の仲介役として藤太はナイスポジションにいるよなあ、とかナントカ。
藤太と千種の二人も好きですよv
阿高と苑上って、きっとしばらくは恋人らしい振る舞いができなかったんだろうなぁ、とか、でもそんなところが好きなんだー!とか(笑)
勾玉三部作の中では薄紅が一番好きだったりします。
この淡さがね、なんともね(笑)
文字間隔、読みにくかったら御免なさい;