訪問者・2

 

 

竹芝の屋形の前に一人の少女がたたずんでいた。


年の頃は十五歳ほど、くっきりとした気の強そうな眉と、くるりとした愛らしい瞳を持つ。
その少女が屋形の前に着いてから、半刻ほどの時が過ぎていた。

(どうしてここまできて、あと一歩が踏み出せないの・・・)

少女の名前は綾音。先日、音に聞こえた竹芝の二連に盗まれた従妹を取り返しにきたのだった。

綾音と従姉の千種は、幼い頃は姉妹のようにして仲良く育った。
活発でよく無茶をする綾音をたしなめながら、いつも穏やかに千種は微笑んでいた。

年を経るにつれて、綾音は外へ、千種は内へ向かうようになり、以前のように親しく関わることはなくなったが、この穏やかな従姉のことが、自分は思ったより好きだったのだと、いまさらながら驚いている。

(叔父様も真守兄さんもどうかしてるわ。)

悶着の末に千種を盗み出した藤太に、千種の父はそれ以降口を出さなかった。
まんまと娘を盗み出されて騒ぐとあっては身内の恥となる風潮は重々承知しているが、それでも綾音は納得がいかない。

(だって竹芝の二連よ。二連の藤太といったら日下部にも名を響かせるほどの遊び人だというのに・・・)

綾音は氷川の祭りで藤太を見かけたことがある。
きりりとした眉に人なつっこい瞳をした顔はいかにも男前で、密かに憧れたことがなかったとはいえない。

(私だったら一時の恋を楽しめるかもしれないわ。でも。)

でも千種は。
千種は一途な娘だ。もしも藤太の気持ちが一過性のものだとしたら・・・。
千種の慟哭を思うと、綾音は胸が痛んだ。
そうなる前に、自分は千種を説得しなければならない。

(そのために私は来たのよ。怖気ている場合ではないでしょう・・・!)

自分を叱咤して門に近づこうとした途端、門が内側から開き、綾音は飛び上がった。

現れたのは綾音と同じか少し年下に見えるあどけない顔立ちをした少女。
彼女は綾音の驚きにつられて一通り慌ててみせたあと、気を取り直した様子で綾音に話しかけた。

「ごめんなさい。お客様だったらどうぞ中へ?」

綾音は上下する胸をてのひらで押さえながら、何とか冷静な声を出す。

「あなたは竹芝の人?」
「ええ、そうです。」
「千種姉さんに会いたいのだけれど」
「え・・・」

少女の表情がこわばった。用心深く彼女が聞く。

「あの・・・。千種さんとはどういう・・・?」
「私は千種姉さんの従妹よ。日下部の綾音が来たと言ってもらえばわかるわ。」



「日下部からの客人だって!?」

苑上の報せを受けて、藤太と阿高は腰を浮かせた。

「真守のやつか?きっちりけりはつけてやったのに・・・」
「ううん。女の子よ」
「女の子?」
「ええ、とっても可愛らしい女の子。千種さんの従妹だといっていたわ」

藤太と阿高は顔を見合わせた。

『従妹・・・?』
「ああ、やっぱり綾音が来たのね。」

音もなく千種が部屋に入ってきて三人は仰天する。

「千種は行かなくていいんだぞ。おれが行って、話をしてくるよ」

藤太が慌てて言うと、千種は少し苦笑した風だった。

「綾音は私に会いに来たのでしょう?私にはわかっていたの。ちゃんと説得するから大丈夫よ。」

 

「ねえさんっ!」

現れた千種の姿を認めて、綾音は声を上げた。

「私、千種姉さんを迎えに来たのよ。一緒に日下部に帰ろう?」

勢い込んで綾音がいうと、千種はおっとりと微笑む。

「心配してくれてありがとう、綾音。けれど私は大丈夫よ」
「何が大丈夫なものですか!」

綾音は唇を尖らせた。千種は何もわかっていないのだ。

「竹芝の二連といったら、遊び人で有名じゃないの。姉さんは遊ばれているだけかもしれないわ。そんな相手のために家を捨てることはないわよ」

千種は困ったように微笑む。そして、黙って年下の従妹に小さな袋を渡した。

「・・・これ?」


守り袋の装丁をした小袋は、蘇芳や柿色の糸で繊細な模様を織り込まれており、それが千種の手によるものだということはすぐにわかった。

「私にはもう、藤太のことしか見えなくなったと思っていた。けれど機を織っていたら、あなたが来るのが見えたの。」
「だったら帰ろう?私、姉さんが傷つくところ、見たくないのよ」
「綾音」

優しく呼んで、千種は綾音の手を取る。

「本当にありがとう。でももう、私のことであなたの心を煩わせないで。私は本当に大丈夫よ」
「でも・・・!」
「たとえ藤太の気持ちが移るのだとしても構わないと思うほど、私は強く彼に惹かれてしまったの。それにね、竹芝の人は良い人たちばかりだから、藤太の気持ちが失せたとしても、私のことを追い出したりはしないと思うわ。」

いたずらっぽく千種が笑うと、二人の後ろから声がした。

「気持ちが失せるとはひどいな。おれは千種が一生の人だと思っているのに」

二人の娘はそれぞれに驚いて、藤太を振り返る。

 


「大丈夫だといっているのに・・・」

あきれたように千種は呟き、綾音は噛み付く勢いで藤太を非難した。

「その台詞を何人の女の子に言っているかが問題なのよ!」
「確かにおれは、今まで何人もの女の子と付き合ってきたよ。一部で女泣かせと言われていることも認める。いつだっておれは真剣だったから、そう言われるのは不本意ではあるけどね。」

でも、と藤太は続ける。

「千種は特別なんだ。今までの恋だって本物だったと思うけど、彼女たちがいなくてもおれは生きてこられた。でも千種のいない未来なんて想像もできない。千種は本当に、おれにとっては大切な相手なんだよ。」
「藤太ったら・・・」

千種は少し怒ったような顔をしながら頬を赤らめた。

「調子のいいことばっかり言って・・・」
「本当だってば」

 


(何だ、馬鹿馬鹿しい・・・)

睦まじい二人の姿を見て、綾音は急速に闘志が消えていくのを感じる。
出歯亀、という言葉が頭をかすめた。

「私、帰るわ」

ぽつりと言う。

「え、もう?お茶でも飲んで行ったら?」
「いい。あんまり長居すると日暮れまでに帰れなくなっちゃうわ」

千種が止めるのをあっさり振り払うと、今度は藤太が気遣わしげな声を出す。

「送っていこうか?」
「誰にでもそういうことを言わないでください!」

誰にでも親切なのは良いことだが、えてしてそういう男は女を不安にさせるものだ。

(千種姉さんからもはっきり言ったらいいのに・・・)

くるりときびすを返すと、千種が追って声をかける。

「今度はもっとゆっくり遊びに来てね」
「やあよ、こんな遠いところ。」

そして綾音はいたずらっぽく振り返った。

「でも氷川のお社くらいなら行ってもいいわ。姉さん、またお祭りでね」

そうして、歩き出す。

 


(ああ、もう、ばからしいったら)

心の中でこぼしながらも、妙にすがすがしい気がしていた。
目的は果たせなかったけれど、敗北感はない。

(もう、千種姉さんの心配なんかしてやらないんだから)

それにしても。思わず綾音は呟いた。

「まさか、千種姉さんに先を越されるとは思わなかったな」

千種は物静かで一人でいることを好み、巫女になるとまで言われた娘なのに。

(本当に、千種姉さんの心配などしている場合ではないわ)


目を閉じると浮かんでくるのは、お互いを慈しみあい寄り添う二人の姿。

「よおし、頑張るぞ!」

綾音は駆け出す。彼女の郷へ。彼女の未来へ。










 


あとがき…?

訪問者・2です。「訪問者」との繋がりはないですが、竹芝にお客さんが訪ねてくるお話、ということで、自分の中ではシリーズ化していました(笑)
これも以前に書いたものなのですが(汗)、藤太&千種を正面から描く勇気がなくて、綾音視点になったお話でした。
何故綾音、と思った方、ゴメンナサイ;
観凪は、こういう脇キャラ視点で物語を描くのが元々好きだったりします(笑)
綾音&千種の関係、本当はどういうものかわかりませんが、最近では意思の疎通はなくなってきたものの、深いところで繋がっている何かがあったらいいな、と思って。