夾の災難






それはある日の放課後のこと。


(廊下を走ってはいけません…! いけないのですが…!)


心の中で懺悔しながら、本田透は大慌てで廊下を走っていた。バイトの時間が一時間前倒しになったことを、すっかり忘れて掃除当番を引き受けてしまったのだ。


(急がなければ、遅刻なのです…っ!)


ドンッ!


「ひゃあっ!」


角を曲がった瞬間、誰かにぶつかり、ひっくり返る。

「す、すみません、お怪我はありませんでしたかっ!?」

起き上がりざま、ぶつかった相手に謝るが、相手がいるべき場所にはあるべき人影がなかった。
あったものは、崩れ落ちた制服と、服に埋もれた一匹のネコ。

さぁーっと透の顔から血の気が引いた。

「きょっ、夾くんっ!申し訳ありませんっ!私が廊下を走ってしまったばっかりに!!」
「…いいから、服、隠してくれよ…」

前脚で額を押さえながら夾が言う。
幸いあたりに人影はなかった。

「そ、そうでした!」

慌てて散らばった制服の類をかき集めていると、背後から声がかかった。






「透くんの電波受信……」
「あれっ、透、バイトはいいのか?」

現れたのは黒髪黒爪の少女と、金髪長身の少女。透の大切な友人だ。

「うおちゃん、はなちゃんっ」

時計を見ると、時間はかなり切羽詰っていたが、今はバイトどころではない。

「ん、なんだ、そのネコ?」

目ざとく魚谷ありさが夾を見つけた。
透は夾の制服を隠しながら、夾を抱き上げる。

「ふにゃっ!?」

(ご、ごめんんさい、ごめんなさい夾くん…っ)

草摩の人々は十二支の動物化したあと、一定時間を置けば人間の姿に戻ることが出来るが、今人間に戻るのは非常にまずいはずだった。
夾を抱き上げたのは、異性が抱きついたままなら人間に戻ることもないと思った透の苦肉の策だった。






「か、可愛らしいネコさんですよね。いったいどこから入り込んだのでしょう…?」

だらだらと冷や汗を流す透に、今度は花島咲が不穏な突込みを入れる。

「草摩夾……」
「へっっ!?」

透がぎくりといして身を強張らせると、咲は透の横を指差した。

「…の腕輪ではないかしら…」

見れば、夾がいつも身につけている数珠のブレスレットが落ちている。

「そ、そうかもなのです!私、聞いてみますっ」

しどろもどろに言うと、ブレスレットを拾ってポケットに詰め込む。

「そーいえばあいつの頭に似てるなァ、このネコの色!」
「目つきが悪いところもそっくりね…」

二人が興味深げに近寄ると、ネコの夾は威嚇するように毛を逆立てた。

「フシャーーッ」

「なんだよ、警戒心強いなあ。その割には透にべったりだけど」
「だって透くんですもの…。ところで透くん、いつまでも座り込んで、どうしたの…?」
「こ…これはですねえ…」

背後に夾の制服を隠しているため、立つに立てないとは、言えない。
笑顔を張り付かせたまま、内心パニックに陥る透に、救いの手が伸べられた。

………と、思った。






「可愛らしいネコだね」

ゴミ捨てに行くためゴミ箱を抱えた姿さえサマになる草摩由希が、にっこりと一分の隙もない笑顔をつくる。

「ゆ、由希くん…」

助かった、という思いとともに、透は由希に情けない視線を送った。
そんな彼女の視線に答えて王子は更に笑顔を深くする。

「でも本田さん?そんなモノ、校内に持ち込んだこと、先生に知られたら怒られるよ?」

にこにこ笑顔を崩さないまま、由希は無造作に夾をつまみあげた。

「フギャアァッッ!!」

そしてそのまま窓の外に放る。 バカネコ…、との呟きは幻聴だろうか?

「ゆゆ、由希くんっ、ここ二階……っっ」
「大丈夫だよ、ネコは運動神経が良いからね」

振り返った顔は、爽やかな王子スマイルだ。

「それよりバイトはいいの?ああ、そのゴミは僕が一緒に捨てておくよ?」

今度は、透の背後の制服の類を素早くゴミ箱に突っ込む。

「由希、鬼畜…」

ゴミ捨てを手伝っていた草摩發春がぼそりと呟いた。






「そうね…。遅刻しては大変だわ…」
「なんならチャリで2ケツしてってやろうか?」
「あ、有難うなのです。でも、大丈夫なのです…っ」

がばりと立ち上がると、頭を下げて、大急ぎで透はその場を退去した。
今度は走らないように、早歩きをしながら。

(きょ、夾くんは大丈夫なのでしょうか……?)






「ありさは自転車通学だったかしら…」
「借りればいいんだろう?」

けろりと言うありさに、ひくりと顔を引きつらせたのは、咲ではなく由希だった。













その夜。

「ご、ごめんなさい、ごめんなさいっっ」

透は夾に、平謝りに謝ったのだった。




さすがに普段鍛えているだけあって、夾が傷を負うことはなかったが、由希と夾のバトルがくり広げられたことは言うまでもない…。













終わり。






あとがき…?

実は、いっちばん最初に書いたフルバ小説がこれです(笑)
ノートに原本が残っていたので、もう一度書いてみました。
書いた当初もめちゃめちゃ楽しんでいた記憶がありますが、今回もまたしても楽しかったです(笑)
…キョンいぢめ…。

きょ、夾くんファンの方、すみません;;
そんな私も(由希派ながら)キョン吉、大好きです!

巻を進むごとに深さを増していくフルバですが、この原点のコメディタッチにも大変魅力を感じる観凪なのでした…。(言い訳?)