夢の中では、ペチカはまだ六歳の子どもだった。


「ペチカったら。まだ眠れないのね」

困った子、と笑いをふくんだ優しい声で、お母さんが呟く。
あたたかくて大きなてのひらが、ペチカの額を優しくなでる。

ふかふかのベッドの中で、ペチカはじっとお母さんを見つめていた。


――それでは、お話をしましょう――







    塔の上の空っぽの水晶の話







「その石は、人々の悪い心を糧にして、大きく育っていくものでした」

いつも通りの前置きの後、お母さんはこう語り始めた。


ある日、ひとりぼっちの男の人が、その石を手に入れました。
男の人は、いつも皆から仲間はずれにされて本当にひとりぼっちだったので、世界中の人々のことを憎いと思っていました。

その邪悪さと裏腹に、石はきらきらと美しく光る、水晶のようでした。
ひとりぼっちの男の人にとって、その石は、たったひとつ、男の人を理解してくれる宝物でした。
石は男の人の憎しみを感じ取り、みるみる大きく成長していきました。
石は、男の人の何倍もの大きさになりました。

ついには石は、男の人のことをも取り込んで、更に大きくなっていったのです。


石は、もっともっと憎しみが欲しい、と言いました。




石は、悪い妖精に連れられて、世界で一番高い塔の上に行きました。
その塔の上から、世界中の人の憎しみを欲したのです。

人々は、石の影響を受けて、心の中の憎しみをどんどんさらけ出していきました。

世界は悪い心で満ちて、滅びてしまうかのように見えました。


そんなときです。


ひとりの女の子が、塔の上の水晶の前にやってきました。


女の子も、いつも皆から仲間はずれにされて、本当にひとりぼっちでした。
強い憎しみを知っていました。

けれども、女の子は言うのです。



  「みんな、許す。みんなが幸せになった方がいい」



憎しみしか知らない石は、初めて光の言葉に触れました。
光の心に触れました。

強い光は、強い憎しみをも溶かしてしまいました。

石は、光の中に消えてしまうかのように見えました。   


光に触れた部分から、石からどんどん憎しみが無くなっていきます。
憎しみの無くなった石は、空っぽの水晶に戻っていきました。


そうして、石に取り込まれた男の人もまた、石から憎しみと一緒に抜け出して、光に触れたのです。


光は、月の神様が「愛」と名づけたものでした。
男の人は、憎しみばかりをその身に宿していました。
けれども、幼い頃には優しいお父さんとお母さんがいました。

光に触れて、男の人は、優しい両親のことを思い出したのです。

思い出しながら、光に溶けて消えました。

けれどそれは、消し去る光ではありません。
男の人の全てを飲み込んでしまった紫色の光とは違います。


男の人は消えました。
憎しみばかりを抱いている人間達は、消えました。


優しい光の中に、迎えられて。





そこまで話して、お母さんは優しくペチカの顔をのぞきこんだ。

「……だからね、心配することはないのよ」

いつの間にか、ペチカのほおには一筋の涙が伝っていた。
あとからあとから、涙が溢れてくる。
お母さんの優しい手のひらの下にいる女の子は、いつの間にか十五歳のペチカになっていた。

「お母さん……」

優しく優しく、お母さんはうなずく。




心のどこかでわかっていた。

もし、アロロタフの水門でフィツが助けに来てくれなかったら、きっと炎水晶に呑まれてしまっていたのは自分だった。
ひとりぼっちで、遠いお母さんの記憶しか拠り所がなくて、いつも皆からいじめられていたペチカ。
きっと、炎水晶に呑まれたペチカは、天界の塔のてっぺんにあったのと変わらないくらいに、炎水晶を大きくしてしまっていたことだろう。

ペチカは炎水晶に勝った。
けれども、ペチカの発した白い光は、炎水晶の憎しみを消してしまった。
炎水晶に呑まれた人たちを、消してしまった。
あの時、アロロタフの水門でペチカに忍び寄ってきた暗い光のように容赦なく。

そう思うと、ペチカは辛かった。

自分と同じように、孤独だった人が、辛い思いばかりした人が、何の救いもなく消し去られてしまったことが。


「そんなことはないのよ」


ほおに伝った涙を、優しくぬぐってくれながら、お母さんは言う。


「暗い光から、ペチカを救ってくれた光があったわね。ペチカの光は、それと同じ」


容赦のない闇の中からペチカを救ってくれた光。

…フィツの光。


見上げると、お母さんの笑顔がいっぱいに広がっている。


「優しい子。たくさんの、孤独な心を救ってくれたのね」












「…お母さん…!」


ペチカは、自分の声で目が覚めた。

濃厚な花の匂いがペチカを包んでいる。
「百本の花」の店番をしながら、うたた寝をしてしまったようだ。

ペチカは慌ててあたりを見回し、ぎょっとしたように身をのけぞらせているルージャンと目が合って驚いた。

「だ……大丈夫か…?」

カウンターに突っ伏して寝ているペチカを発見して、起こしたものかどうか思いあぐねていたルージャンも、ペチカと同じくらいに慌てていた。
それでも、ペチカのほおを伝う涙を見つけて、その瞳が途端に気遣わしげな色を帯びる。

ぺチカは自分のほおに手を当てて、ルージャンの視線の意味を理解したが、いつものように意地を張る気にはなれなかった。
気恥ずかしさに視線を逸らしながら、もういちど呟く。

「お母さん…有難う…」

そして、涙をぬぐって顔を上げる。
心の中に、お母さんの優しい笑顔と、フィツの優しい光が広がっていた。
自然に言葉がこぼれる。


「私……もういちど、フィツに会いたいなあ…」
「…ペチカ?」



窓の外に広がるパーパスの街は、太陽が月に、空を譲ろうとしているところだった。
もうすぐ、オルレアが帰ってくる頃だろう。

「ルージャンは、今日はお休みだったの?」

いつも、心のどこかに巣くっている、とげとげした気持ちがきれいになくなっているのを感じながら、ペチカはルージャンにたずねた。
穏やかに見つめられて、ルージャンは思い出したように再び慌て始めた。

「そうだよ、花の買い出しに来たんだった」


何日か後にはパーパスの復興を祝う祭が開かれるのだ。
たくさんの花が発注され、オルレアが忙しく駆け回っているのだが、それでもまだ足りなかった花があるという。
忙しい天界の塔の職員たち中から、新入りのルージャンが買い出し係に選ばれたのだろう。
ペチカは笑いながら、いくつかの鉢をルージャンに渡した。



もう、あの日から、一年がたとうとしている。
鉢を渡しながら、ペチカはルージャンの顔をのぞきこんだ。


「ねえ、ルージャン。いつか私、聴いてほしい話があるんだ……」


炎水晶の最後を。
アロロタフの水門での出来事を。

フィツとの、約束を。




区切りがつかずに、ペチカの心の中にだけ、静かに納められていたそれらの思い出を。
お母さんが、わだかまりを洗い流してくれた今こそ、一緒に旅をしてきたルージャンに聴いてほしかった。

顔を真っ赤にして何度もうなずくルージャンを笑って送り出しながら、ペチカはすっかり色を変えた空を見上げる。


大切な友達を思わせる、優しい光をした星々が空いっぱいにまたたいている。



きっと、祭の日も良い天気になることだろう。
















あとがき…?

いつから書き始めたお話だったのだか…
相当前から…多分、半年以上前から書いていた話のような気がします^^;
「童話物語」は、とても辛くて長い旅を越えて、すがすがしく温かく終わっているけれど、一方でイルワルドのように、ついに救われなかった人もいたな…、と思って。
彼等にも、救いがあったら良いな、と思って書き始めたお話でした。
ものすごく筆力不足で、伝えたいことが伝えられていなかったり、ダイレクトすぎて物語になっていなかったり、色々ともどかしい出来ではあるのですが、気持ちだけはたくさん込められています…;

最後がルーペチっぽくなっているのはまあ、うん…(何)
観凪さんの基本路線というか(笑)


最後まで読んでくださり、どうも有り難うございました!










2006.1.29