稲穂が重く垂れ下がり、西陽を受けて黄金色にきらめいていた。 そんな田畑の前で、子ども等が集って、捕らえた狐を小突き回している。 通りかかった老婆がそれを咎めると、だってこいつがお供えの餅を盗ったんだ、と云う。悪い狐を捕らえたのだから、これは毛皮を剥がして売りつけてやるべきだ、とも。 傷つき怯えた狐を、老婆は山へと逃がしてやった。 不平顔の子ども等を振り返って、云う。 「獣にだって心というものはある。悔しい気持ちはわかるが、必要以上の罰を与えてはいけないよ。まあお聞き。こんな話があるのさ」 狐の情 あれはアタシが十になるかならないかのことだったかねえ。そう、丁度あんたらと同じくらいの年の頃だよ。失礼だね、アタシにだって子どもの時分はあったのサ。 その頃、アタシはおっかさんをなくしたばかりだった。 性質の悪い流行り病でね、アタシもおっとさんも必死に看病したんだけれど、駄目だった。 おっかさんを亡くしてすぐ、アタシ達は里を追ん出されたんだよ。アタシ達にもよくない病が伝染っているかもしれないからってね。情のない話さ。 野を越え山を越え、おっとさんとアタシは、住める場所を探した。 もともと蓄えなんて、ありゃしなかったからね。みじめな旅だったよ。 いっつもおなかをすかせてね。ひもじいったらなかったけれど、ぐっと堪えて、おっとさんに手を引かれて、必死になって歩いたもんだよ。 そんな旅を、何日続けた頃だったか、あの山に着いた。 あとで聞いた話だけどね、その山では、よく狐が旅人を騙すっていうんで、土地の者には有名だったらしい。 なんでも、疲れた旅人が川で喉を潤おそうとすると、見たこともないようなご馳走だったり、黄金色の輝く宝の山が流れてくるっていうんだよ。 それを取ろうと川に入って追っかけて手をかけると、それはただの木片だったり、石ころだったりするという話サ。騙された、と岸に上がってみると、岸辺に置いた荷物がそっくり消えているという寸法。 美味い話には裏があるという、良い証だよね。 尤も、アタシ達は土地の者じゃないし、そんなことは知る由もなかった。 その山で迷っちまってねぇ。 どちらに下りたら里に出られるのか、わからなくなっちまった。 さんざ歩き回って、いよいよ道を失ってしまってね。アタシも辛抱のない方ではなかったけれど、子どものやわな足だ。皮がむけて痛くて痛くてね。 仕方がないから、おっとさんは大きな木の根元にアタシを座らせて、自分が道を探してくるから、お前はここで待っていろ、と言うのサ。 決してここを動くな、と、何度も何度も念を押してね。 アタシはじっと待っていたよ。 けれど、時は日暮れ時、あたりはどんどん暗くなる、頭の上の上の方ではギャアギャアとなにやら気味の悪い鳥の鳴き声。風が吹けばあたりの木やら草やらがザワザワと真っ黒い影を揺らしてね。心細いったらなかったよ。 アタシは膝をかかえて、ひたすらおっとさんを待った。 待っている間、考えることといったら、おっかさんに会いたい、って、そればっかりだったよ。 おっかさんは死んだんだ。頭ではわかっているつもりだったけどね、アタシもまだ小さかったし、本当にはわかっていなかったのかもしれないね。 尤も、幼くとも年をとっても、突然大事な人がいなくなっちまったら、戸惑うのは当たり前さ。 今にもその木陰から、おっかさんがでてくるんじゃないかって、そんなことばっかり考えていた。おや、お前まだこんなところにいたのかい、早くうちへお入り、って優しく笑いかけてくれるんじゃないかってね。 あたりはいよいよ暗くなる。おっとさんは帰ってこない。おっかさんは現れない。 おまけに腹はぺこぺこだし、喉も乾いて足はくたくた。身体中が痛くて疲れて、情けないったらなかった。 そんな時だよ、チョロチョロと、水の流れる音を聞いたような気がしたのさ。 しばらく耳を澄ませていたけれど、やっぱり間違いない。どこかで水が流れている。 アタシは、ついにその場を動いちまった。 喉も渇いていたしね、それにいい加減、待つことが辛かったからね、正直なところ。 けれど悔やんだったらないよ。いくら歩いても水のある場所になんて出やしない。絡まった蔦やら、木の根っこやらに何度も転んでね。 すっかり方向も見失って、もといた木の場所すらわからなくなっちまった。 なんてことだろうね、この広い山の中、アタシは完全にひとりぼっち。 あのときほど、大人の言いつけを守らなかったことを悔やんだことはなかったよ。 もうおっとさんもアタシを見つけられない。そう思ってべそをかき始めた時だった。 ようやく、川が流れている場所に、辿り着いたんだよ。 そんなにて大きな川ではなかったけれどね。きれいな水が、たんと流れていて、ごうごう音を立ていたよ。 向こう岸はすぐそこに見えていたけれど、それでも大人だって飛び越えることは出来ないだろう。そのくらいの幅はあったんじゃないかね。 アタシはとにかくものも考えられずに岸に近づくと、ごくごくと水を飲んだ。 暗くて足元もよく見えなかったけれど、すべり落ちないように注意することすら出来なかったよ。甘く、清く、美味しい水だったよ。 ひとしきり水を飲んで、ふと顔を上げてみて、驚いたのなんのって。 何を見たと思うかい? なんと、目の前を、おっかさんが流れていったんだよ。 2007.2.14 <後編へ> |