ブラウニー。
家について、家人の行き届かない掃除や家事を手伝ってくれる妖精。
お礼は、カップ一杯のミルクやクリーム。
ただし、彼らにお礼を手渡ししたり、衣服を与えてはなりません。
ブラウニーに直接お礼や衣服を渡すと、彼は二度と家には戻ってこなくなるでしょう。
これは、そんなブラウニーの少年と、彼の住む家の住人のお話です。
森の中の小さな家で
「きゃあぁっ!……ハック…!」
朝のしじまを破る甲高い悲鳴が、森の中に一軒だけ建った小さな家から上がりました。
すでに毎日のおなじみのこと、森の動物たちも慣れたもので、驚くこともなくそれぞれの仕事をしています。
家のすぐ前の小枝に止まった小鳥でさえ、羽ばたくこともなく澄まして尾羽をつつき、羽づくろいの仕上げをしていました。
小さな家には、腕のいい仕立て職人の一家…とは言っても、仕立て職人とその娘、そして家政婦が一人という小さな家族でしたけれども…が住んでいました。
街からほんの少し離れた森の中。
澄んだ空気や、きれいな水が、体の弱い娘には良いのです。
一家はとても仲が良く、助け合いながら楽しく暮らしていました。
そして、もう一人。
この三人の他に、この家には古くから棲み付いている妖精がおりました。
妖精は、仕立て職人の奥さんが亡くなり、家政婦さんが来るずっと前から、その家で仕立て職人とその娘と暮らしておりました。
名前はハック。
働き者で気の良い妖精ですが、いたずら好きなのが玉に瑕でした。
家政婦の悲鳴に、休んでいた娘が笑いながら問いかけます。
「シエラ、どうしたの?」
家政婦…シエラが答えるより先に、彼女の隣で足を組んでいた妖精、ハックが口を尖らせました。
「だってエレナ、こいつが悪いんだぜ」
台所の床には泡だった石鹸が落ちており、その上に転んでしまったシエラは、憤慨した表情でハックを見たあと、情け無さそうに立ち上がり、お尻をはたきました。
スカートだけでなく、頭にまで泡がついてしまっています。
あらあら…と娘…エレナは口元を手で覆い、シエラの頭をタオルでぬぐってやりました。
「台所仕事をしようと思って入ってきた途端にこれですもん。酷いと思いませんか、お嬢さん」
エレナにお礼を言いながらも、憤懣やるかたない表情でシエラは言い募ります。
「きっちり仕事しないおまえが悪いんだろう?大体、昨夜の洗い物がまだ拭いていなかったってどういうことさ」
「あたしはちゃあんと拭きました!」
「いいや、拭いてなかったね!おれがそのあと拭き直してやったんだ。シエラは仕事が荒いんだよ」
口喧嘩もいつものこと。
エレナはしばらく微笑ましそうに言い争う二人の様子を見守ります。
「もう!いつもいつも人の仕事のあら探しばかり!この根性曲がりの小姑妖精!」
「言ったな、無能なへっぽこ使用人の分際で!」
いよいよ二人の言い争いに熱が入り、今にもつかみ合いになりそうな頃合を計ったかのように、エレナののどかな声が響きました。
「さあさあ、けんかはそのくらいにして。朝ごはんの支度をしてしまわなくては。パパが起きてきてしまうわ」
まるで陽だまりのように朗らかで温かいエレナの声に、言い争っていた二人はピタリと口をつぐみました。
エレナが微笑むと、まるでそこだけ光が満ちたように明るくなります。
エレナはとても身体が弱く、あまり外には出られないのですが、いつも優しく微笑んでおり、一緒にいると楽しい気持ちになるのです。
穏やかで物静かな佇まいだけれど、いつも明るく思いやりに満ちたエレナは、この家の中で太陽のような存在でした。
ハックもシエラも、エレナのことが大好きだったのです。
「おやおや、またけんかかね。ハックとシエラは本当に仲が良いんだね」
そうこうしている間に、エレナのパパである仕立て職人も起きてきてしまいました。
昨夜遅くまで洋服を仕立てていたため、寝癖のついた前髪の下の眼鏡の奥には、眠そうな薄茶色の瞳がトロンと光っていました。
「仲が良いわけがないだろうオリバー!まったく、もっとマシな使用人選べよな、お前は」
「とんでもありませんわ、旦那様!こんな根性曲がりの妖精は、とっとと追い払ってしまうに限ります!」
二人が同時に仕立て職人…オリバーに言い返したため、オリバーとエレナは、顔を見合わせて吹き出してしまいました。
家政婦とブラウニー。二人は天敵のような間柄でしたが、案外に上手くやっていると言えました。
以前仕立て職人一家で働いていた家政婦さんは厳格なおばさんでしたが、ハックのいたずらに耐えられずに辞めていってしまったのです。
このおばさん家政婦さんは、体の弱いエレナのことをちっとも外に出してくれなかったので、エレナはこっそりと…誰にも内緒ですが…ハックに感謝していました。
それに引き換え、新しい家政婦のシエラは、エレナと年頃も近いため親しい話し相手にもなってくれましたし、小屋の近くの森の中なら、エレナが遊んできてもニコニコと見守ってくれるのです。
もっとも、森に行くエレナをハックがこっそり見守っているからこそシエラも安心して送り出せたわけですが。
いがみ合いながらも、シエラはエレナのことに関してはハックを信用していましたし、ハックもめげない真っ直ぐな気性をしたシエラのことは、ひそかに気に入っているようなのです。
「パパ、今日は街に出るのでしょう?シエラとハックと朝ご飯の支度をしてしまうから、顔を洗ってきてくださいな」
クスクスと笑いながらエレナが言うと、オリバーも穏やかに微笑みました。
「そうだね。じゃあ、ついでに着替えてくるとするかな。よろしく頼むよ、シエラ、ハック」
名指しされた家政婦と妖精は、張り切って大変良いお返事をすると、お互いに競うようにして台所へ急ぎました。
そんな二人を嬉しそうに見守りながら、エレナは大きな木を削ったテーブルを拭き、白いお皿を並べるのでした。
森の中の穏やかな生活。
小さないさかいはあっても、全ては暖かい光に包まれていました。
いつまでもいつまでも、この幸せな生活が続くと良い。
皆、そのように願っていました。
これは、そんな静かな一家のお話です。
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2005.11.4
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